相談役コラム

6.32025
金融検査マニュアルが商店をつぶす
私が商店街会計をしていた時、寺町通りの老舗魚屋さんが商店街理事長をされていたが、20年程前に亡くなられて、その後奥様も亡くなられ二次相続のあと、息子さんが魚屋を継がれて三代続いたが、廃業となった。
土地建物は不良債権として大手信用金庫の借入金の一括返済を迫って不良債権処理の対象になり売却処理となってしまったのだ。不動産屋の手に渡り、その後中国人の所有となり建物は解体され、更地のまま商店街の中心にぽつんと工事フエンスに囲まれてから10年が経った。
商店街の活性化の為にもなんとかならないものかと思っていたところ、今回、この空き地が売りに出されたので、弊社は早速購入者探しをはじめて、現在契約手続き中である。
また、同じ商店街の同級生の作業服屋は、同じ信金から一括返済を迫られたあげく、4階建て社屋を手放し中国人の道具屋になってしまった。
相次ぐ二軒の廃業、売却に商店街では動揺が走った。
寺町商店街の土地価格は90年バブルでは坪1千5百万円まで急騰していたが、バブル崩壊後急激に下がり続け坪200万円台まで下がった。最近は500万円台に戻しているが買えるのは中国人や東京資本。
その当時金融再編の嵐が吹き荒れ、代々続いた商いを断念した企業が続出した痛ましい事例であった。90年バブル崩壊後、山一證券の破綻などが大きな社会問題となったが、京都の中小零細企業もその煽りを被った。金融機関の貸し渋りは激しくなるばかり、原因をたどっていくと、98年に発足した金融監督庁(現・金融庁)の検査にいきつく。少しでも赤字のところはもう借りられない。十年以内に返済できない借金があると融資は駄目と。
融資していた件の信金から一括返済を迫られた同友会会員の呉服屋さんは、泣く泣く自宅兼社屋を売却して借入金一括返済をされ、残った資金で小さな一軒家を購入して細々と営業を続けられる道を選ばれた。
また、地元大手の不動産会社は同じ信金から、物件購入の数億円の運転資金の一括返済を迫られ、大手都銀に乗り換える事が出来、危機を乗り越えられた。
この信金は当時ライバル信金と規模拡大の競争のなかで、府下中規模信金の吸収合併を控え、不良債権化する取引先の淘汰をしていたなかで、金融監督庁の検査に合格するために手荒な貸しはがしをしていた。
その当時、中京税務署管内で黒字企業は25%と聞いている。繰越欠損もある中小・零細企業の実態に則して、地域金融はより柔軟な対応を取らねばならないのに、金融マニュアルを振りかざして、大企業を念頭に考えられた金融検査マニュアルをノンキャリアの検査官が使命感に燃えてあばれまくっていた。金融機関はおびえて融資を渋り、その結果、信用収縮がおこり、中小零細企業がつぶされていった時代であった。
弊社も、寺町通りの空き家であった隣地が売出され本社増築の機会と捉え、土地価格が坪200万円台に下落していたので購入を決め、増築工事を行なったが、金融機関からは、借入限度額を越えるとの事で、所有していた4階建ての収益物件を売却しなければならなくなった。弊社発祥の所で元々祖父が所有していた所を買い増しして、一階を作業場と自家駐車場に活用していたのだが、本社増築と引き替えに投資家に売却した。何時かは買い戻したいと思っているが、最近の地価の値上がりでどうなることか。
2025年4月25日